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女性部下を持つ男性上司よ、サムを知ってるか

男性の多くは、サムのことを知らない。サムがどれだけ猛烈なパンチを女性たちに繰り出しているかを想像できない。
 
サムについて言葉に出来ず、もしも言葉にしてしまったら、今までどおり仕事を任せてもらえなくなってしまうのでは、仕事を犠牲にしてしまうのではと、孤独に戦う女性が、すぐ隣にいるかもしれないことに男性陣は気づかない。
 
 
フリーランスになって、部下なるものと縁がなくなって20年以上が経ちました。
会社員時代に直接的な女性部下はいなかったけれども、同じ会社で働く女性たちに、サムなるものとの戦いがあっただなんて(知識としてはあったけれど)全く思いを馳せることもなく、鈍感でした。
 
 
映像業界の、特に撮影現場では、肉体的にも勤務時間的にも、女性と男性の間に差はありません。女性だから早く帰る、重い荷物を持たせない、はありません。
多くの女性スタッフが、男性と同様に、朝早くから夜遅くまで飛び回り、重い荷物を持ち、ぱぱっとご飯かっくらって不規則な時間を過ごしています。
 
 
一億総活躍社会とかなんとか。
こういった記事ひとつをきっかけに、これから言葉にする女性が増えてくるかもしれません。
誰か一人の、こんな勇気ある行動が、案外と社会をころっと変えるきっかけになるのかもしれません。
 
 
だから男性陣、特に女性部下を持つ者は、いつ何時言葉にする女性が目の前に現れても、うろたえることなく、適切に対応できるように、組織なりの、自分なりの答えを用意しておかなくてはいけませんね。
 
 
会社員でもなく、上司も部下もいないフリーランスの言葉に説得力はないかもしれませんが、ホント社会はどんどんと進化しています。
 
最近は、工事現場とか電車の運転士とか、男性しかいなかった現場で女性がどんどん活躍し始めています。そういう現場で、男性上司は「サム的」なことにどう対応しているんだろう。

名古屋のプレミアムフライデーは、これだ!

え、明日からプレミアムフライデーだってぇ?笛吹いてどんだけ踊るか知らないけれど、名古屋でもやるの?名古屋は同じことやっちゃダメでしょ。
名古屋は限定で「プレミアムえびフライデー」にして、魅力ゼロ都市からの脱却を図らなくちゃ。

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それにしても、「うち、プレミアムフライデーだからあとよろしく」的にフリーランスや下請けにしわ寄せが来ちゃったら、プレミアム犠牲フライデーになっちゃうな。

 

ミャー iPhone6Plus ケース 食品サンプル 名古屋めし エビフリャー

ミャー iPhone6Plus ケース 食品サンプル 名古屋めし エビフリャー

 

 

うちのネコの技に名前をつけてみたけど、いつでも襲ってこい、のウエルカムだねネコはやっぱり

こんな本が出たそうで。

 

「のら猫拳」ですと。

withnews.jp

 

のら猫拳

のら猫拳

 

 

 

 

 

まあ、なんともネコってやつは人生を楽しませてくれるものだこと。

  

 

 

我が家のネコも日々攻撃を仕掛けてくる。負けるもんか。

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こんな楽しい戦いはありません。

 

にゃんたま

にゃんたま

 
ねこのおてて

ねこのおてて

 

 

3冊同時読み作戦大失敗の巻

トイレ、電車、仕事の息抜きと、シチュエーションごとに本はいつも2〜3冊同時に読んでいます。頭ん中がごっちゃにならないよう、なるべく異なるジャンルを組み合わせています。
 
最近の組み合わせがこれ。
東海テレビ取材班のノンフィクション「ヤクザと憲法」と森絵都の小説「みかづき
 
この組み合わせはダメです。どちらも読み始めたら止まらず、交互読み作戦は大失敗ですわ。
 
みかづき

みかづき

 

 

昭和から平成に至る、塾を舞台とした三世代小説「みかづき」は、コレ、たまりません。ああ、まだ終わって欲しくないと思いながらの、特に最終章は、釘付けです。塾?教育?なーんて聞いて関係ないやと読まないのはホントもったいない。日本人ならば、塾に限らず日本の教育を受けてきたわけで、また子どもが教育の場にいま通っている親の立場でも、この小説は読んで考えて、涙するしかないです。絶対に読むべし!
 
 

 

ヤクザと憲法――「暴排条例」は何を守るのか

ヤクザと憲法――「暴排条例」は何を守るのか

 

 

「ヤクザと憲法」は、テレビ放送も映画もまだ見てなく、でもずっと気になっていた作品で、まずは本から入りました。
 
ヤクザ!の印象は、テレビや映画や報道からでしかないのですが、このノンフィクションを読んで、ああ、「今の時代」のヤクザってこうなんだ、と改めて、時代の流れを痛感です。
好意で買ってきてくれたたこ焼きを、利益供与にあたるかもと手を付けられない葛藤、そしてインタビューでどこまで突っ込むべきかと迷うディレクター、どれも興味深く、業界的に遠からぬ世界(取材の方ですよ)だから、自分ならばどうするを考えながら読んでしまいました。
 
 
同時読みのもう一冊、人工知能関係は、はい、後回しでございます。

 

未来を味方にする技術 ~これからのビジネスを創るITの基礎の基礎

未来を味方にする技術 ~これからのビジネスを創るITの基礎の基礎

 

 

ステキな孤立 小松左京「アメリカの壁」を読んで

ベトナム戦争で疲れきったアメリカのことを、40年前、小松左京はこんなセリフで表現していました。

 

「アメリカってのは躁鬱型文明で、躁期が終わって、鬱病期にはいったのかも知れん」て。

 

トランプ時代を予言していた!とかで急遽発売となった「アメリカの壁」(電子書籍のみ)を読みました。

 

 

 

<正体不明の壁>によってアメリカが完全に外の世界から遮断、孤立しているにも関わらず、大統領(モンロー!という名)は、それをチャンス(!)とばかりに喜んで受け入れ、ステキな孤立を目指していく、という物語です。

 

「孤立させられても、アメリカはアメリカだけで未来をきりひらいていける力を持っている。アメリカは生きのびる。アメリカには未来がある。そして、アメリカにはまだ宇宙ものこされているのだ」

 

なんてことも、大統領に言わせています。

 

 

2017年のあの人の、発令や言動は、威勢が良すぎてそう状態ぽいけれど、案外これまでのアメリカが果たさざるを得なかった役割にうんざりのうつ状態に入ってしまっての流れの末のものだったのかもと、この小説を読んで感じてしまいました。

 

銃を持つ民主主義―「アメリカという国」のなりたち (小学館文庫)

銃を持つ民主主義―「アメリカという国」のなりたち (小学館文庫)

 

 

 

首都消失 (上) (ハルキ文庫)

首都消失 (上) (ハルキ文庫)

 

 

首都消失 (下) (ハルキ文庫)

首都消失 (下) (ハルキ文庫)

 

 

物体O (ハルキ文庫)

物体O (ハルキ文庫)

 

 

川端康成様、あなたはいくつ花の名前を知っているのですか?

【別れる男に、花の名を一つ教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。】

川端康成『掌の小説・化粧の天使達・花』より)

 

白髪のオールバックの神経質そうなおじいさん、というビジュアルしか浮かびませんが、若い頃の川端康成はどこかダルビッシュに似ているイケメンで、いくつもの修羅場の果てからこんな名文が生まれたんだろうな、というのがうなづけます。さぞかし、花の名前をたくさん教えられたのでは、と。

 

 

かくいう自分は、恋愛経験が乏しいからなのか、花の名前をぜんぜん知りません。

いや、ある程度花の名前は知ってはいますが、名前から実体が浮かばない(実体から名前も浮かばない)

名前と実体が一致しているのは、チューリップ、バラ、サクラ、ひまわり、カーネーションにキクぐらいです。

 

あ、もうひとつありました。ユリです。我が家の玄関に生けられていた添付写真のユリです。

 

心の岸辺に咲いているはずの赤いスイートピーも、その姿形は謎のままです。

 

 

 

過ぎ去った記憶はある時あることをきっかけにふいに蘇ってきます。

背中の爪痕は自分では見返すことはできませんが、花は時限爆弾のように一年に一回スイッチが押されるから残酷です。

 

路傍の花にふと足を止めてしまった時、どこかできっとほくそ笑んでいるであろう花の名の教え人を、恨んではいけません。

小悪魔な企みに簡単に引っかかってしまった我の愚かさを笑えば、円満に時は過ぎさっていってくれます。

 

(写真の花と、文中の花は一致していません。あしからず)

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別名彼岸花曼珠沙華花言葉は、情熱・再会・悲しい思い出・思うはあなた一人、とのこと。球根には、毒もあるそうで、恐るべし川端康成

 

 

掌の小説 (新潮文庫)

掌の小説 (新潮文庫)

 

 

バラバラの名前 (新潮文庫)

バラバラの名前 (新潮文庫)

 

 

昭和の心優しきナンパ学生たちよ、「ラブアタック」は竹取物語だったのね

40代から50代の方々よ、関西ローカルで始まり、のちにネット放送となった「ラブアタック」という番組を覚えているだろうか。

 

毎回かぐや姫と呼ばれる女性(多分女子大生)が登場し、そのかぐや姫への愛の告白権利を得るために、数名の男子学生がいくつもの過酷でアホらしいゲームを勝ち抜いていくという視聴者参加番組だ。

 

ラブアタック! - Wikipedia

 

液晶でもなく有機ELでもないブラウン管の中では、意味も羞恥もものともしない若者たちが一心不乱に、時おりカメラを意識しながら走り回っていた。

 

 

可愛く魅力的な女子学生がかぐや姫の回では、男子学生らは生物的本能をむき出しに、文字通り「雄」となり、かぐや姫に突進していた。

 

キャンパス内で振り向きもされないレベルの女子学生がかぐや姫の回もあった。そんな時でも出場者らは、運が悪かった、なんて顏を見せることなく、かぐや姫の自尊心を傷つけないよう、サービス精神旺盛にゲームに取り組んでいた。

 

ああ、なんて心優しき昭和の男子学生よ。

 

 

当時10代後半から20代前半だった私は、こうしたかぐや姫を巡る争奪戦、という図式になんら疑問も関心も抱かず、ただのエンタテインメントとして楽しんでいた。

 

 

 

 

で、時は流れ、30年。最近ふとしたことで「竹取物語」の現代語訳を読んでみた。

 

なるほど!「ラブアタック」におけるかぐや姫という名称が、あらためて腑に落ちた。

 

 

 

竹取物語」は「ラブアタック」だったのだ。

 

 

 

竹取物語」といえば、竹から生まれたかぐや姫がロマンチックに恋をして、生まれ故郷の月へと変える悲恋物語だと思い込んでいた。

 

大筋は間違いではない。が、ディテールが少々異なっていること気づいた。

 

 

かぐや姫ははじめ恋に恋する女性ではなかった。

 

むしろ逆に言い寄る男たちに「わたしを落としたかったら、***を手に入れておいで」と、超難問課題を言い渡すお高い女だったのだ。

 

そんな無理を言う女だからこそ、なんとか手に入れたいと願う5人の挑戦者は、ことごとく失敗し、滅んでいく。

 

 

さて、最後にかぐや姫に求愛できるのは誰か?

 

かぐや姫は最後まで恋する心を知らずに月に帰っていくのか。

 

そもそもなぜかぐや姫は、月の国から人間界に下りたったのか。

 

私を含めた多くの世間が思い込んでいるほど、「竹取物語」はロマンチックでもなんでもない。

 

女を手に入れるためならと、あらゆる手段で愚かな行動を続ける男たちの挑戦紀、という側面もあったのだ。

 

 

そう、繰り返すが、「竹取物語」は、平安版「ラブアタック」なのだ。

 

竹取物語」をはじめとする昔物語は、子どもたちにも読み聞かせができるようにと、都合よくアレンジされて世に伝わっているものが多い。

 

あらすじだけを聞くと、ファンタジーで微笑ましくても、全文に触れてみると、おや?と思う内容が込められていることに気づく。

 

「桃太郎」が退治した鬼ってホントに悪物だったのか?

 

こぶとりじいさんの「こぶ」ってなんの象徴なの?

 

40歳をすぎるといまさら昔物語なんて、となる。

 

竹取物語」と聞くと、ああ、竹から生まれたかぐや姫の話ねと、ただそれだけで納得完結して、先へと進む努力をしなくなる。

 

ああ、知ってる、聞いたことある、でもなんだっけ。

 

語れないのだ。説明できないのだ。

 

知識という名のほんの薄い水面を泳いでいるだけで人生を全うしていく、水たまりのミズスマシと同じである。

 

広く浅く万遍なくのジェネラリストから、深く確実な知識を持つスペシャリストへと、そろそろ意向していく必要性を感じてしまう今日この頃である。

 

しかし、「竹取物語」の詳細な内容を知った上で、かぐや姫というネーミングをつけたとしたなら、「ラブアタック」企画者はなかなかの文学愛好者と見た。侮れないぞ、バラエティ。

 

竹取物語(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

竹取物語(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

 

 

「夫のちんぽが入らない」書店で買うかネットで買うか問題

ここ数年の自分の本の買い方。
 
情報はネットで収集。ウィッシュリストに登録
→店頭で中身を確認&その他の本をチェック
→今すぐ要る!はその場で購入
→それ以外は、緊急性と経済状況に応じてAmazon/Book off OnLine/メルカリ/図書館それぞれからその時々適した方法で入手。
となっております。
 
 
さて、話題の「夫のちんぽが入らない」は?

 

夫のちんぽが入らない

夫のちんぽが入らない

 

 

数日前Facebookでこの本のことを書いたところ、店頭で買うのは恥ずかしい、僕の嫁も同じ悩みを持っていましてね〜困ったもんですの表情をしてレジで差し出す、などのコメントが寄せられました。
 
 
インパクトあるタイトルのものを手に入れるときの心理や選択はおもしろい。
 
 
 
他にもこんなのがある。
 
 
「レンタルCD3枚借りたとき、一緒にMD3枚買うの何か恥ずかしい」
 
この一文は、佐藤雅彦山田一成いつもここから)共著『やまだ眼』のなかで、山田一成が書いているものです。
 
対して佐藤雅彦は、
<本心を悟られることには、なにか裸を見られるような恥ずかしさがある。>と解説をし、続けて、
<例えば、スーパーで豆腐と麻婆豆腐の素を買っているのを知人に目撃された時、書店員に平積み本の上から2冊目を取るのを見られた時など、「麻婆豆腐食べたいんだな」「一番上は嫌なんだな」と見透かされたようで恥ずかしい。同様に、レンタルCD3枚に対して、MD3枚なんてコピーすることが見え見えだ。こんな時はせめてMD4枚と、数の符号をごまかす不毛な努力をしたりする。>
と書いています。
 

 

やまだ眼

やまだ眼

 

 

 
この本は10年前の2007年発行だけど、ずっと記憶の片隅に残っていました。自分もそうかもしれないからです。
 
 
CD をコピーして何が悪い、麻婆豆腐作るためには素が必要だ、という思いの正当さよりも、他者の視線・憶測のパワーが圧倒的で、悲しいかな戦う前に負けている、という例であります。
 
 
 
「夫のちんぽが入らない」を店頭で買うかネットで買うかを迷った時、真っ先に思い出しました。
 
 
 
「夫のちんぽが入らない」をレジで差し出した時、書店員はなにを思うのか。
 
本屋大賞という全国の書店員が選ぶ賞があるように、基本書店員は本についての情報には(おそらく)敏感で、「夫のちんぽが入らない」も、その内容や意味するところに詳しく、レジで差し出されても「ああ、同じ悩みの人ね」とか「まあ、いやらしい」とかなんて思いもしないでしょう。
 
それなのに、ああ、それなのに、なぜ人は(自分は)「夫のちんぽが入らない」を店頭で買うのをためらってしまうのでしょう。
 
 
答えは至極シンプル。
ためらいのもとは、書店員側にはありません。自分のなかにあるのです。
 
「夫のちんぽが入らない」を読みたい、という思いよりも、他者(書店員)がこう思うから、と憶測を過大に膨らませ、敵わぬ相手だと思いこんでしまうのです。
自分の弱さが原因なのに、相手(書店員側)がこう思うだろうからに勝手にすり替えて逃げてしまうのでしょう。
 
 
 
そんな弱さを覆い隠すために不毛な武器を用いてしまう、のが虚しい。
 
MD4枚で数の符号をごまかすように、芥川賞あたりの本を(今すぐ読みたいわけでもないのに)ともに差し出し無類の小説好きを装ったり、
はたまた「Life Shift」や「限界費用ゼロ社会」を「夫のちんぽが入らない」の上に積み重ね、「領収書ください」と、仕事で必要なフリをしたりして。
 
虚しさは、雪のように音もなく降り積もり、いつしか根雪となって固まっていくのです。
 
 
 
思い悩んで相談した時、よくこう言われます。
 
「そんなの誰も気にしてない」「誰も見ちゃいない」「気にするのは自分だけ」と。
はい、それは分かっています。でも、分かっちゃいるけど、それを気にしてしまうのが人間の弱いところなんです。
 
 
自分以外の人がいるから気にする。
 
アドラーの言う「すべての人間の悩みは、対人関係の悩みである」はこういうことなんでしょうね。
 
 
 
 
 
そんなこんなの弱い自分は、発売日当日にネットで買いました。
今だったら店頭はかなりのPOPで彩られ、手にするのにためらいもないことでしょう。
 
 
ところで最近、画像検索がおもしろい。
意味の分からない単語や用語を必要のために調べるのではなく、ちょっとした文章を画像検索すると、いったいなんでこれがの画像、がたくさんでてきます。
 
名付けて画像検索プレイ。
 
 
で、「本心を悟られることには、なにか裸を見られるような恥ずかしさがある」を画像検索すると。まあ、なんでこれが、というものが可視化されていっぱい出てくる。
 
 
思いとか迷いとか、本来ならば可視化できないものを可視化してみると、おもしろい。
 

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

 

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 

からの、そして、時間経過。
3時間が経ちました。読み終わりました。
 
 
 
 
「夫のちんぽが入らない」を書店で買うか?ネットで買うか?だって?
そんなのどうでもいい。どっちでもいい。とにかく読め、です。
 
タイトルという「上辺」だけに引っ張られて恥ずかしいだの、言い訳考えてだの、のあれこれが不毛に思えるほど素晴らしい作品です。
 
 
普通や当たり前と呼ばれるいろいろな所へ「入れなくて」、でもそれを受け入れざるを得ない決断や決意をして生きている人を否定することで、自分を高みに置こうとしてきたかもしれない今までの生き方に、切っ先鋭いナイフを突きつけられたような身震いを受けています。
 
「入れない」人を弱いと呼ぶのは簡単で、でも、それを受け入れることを決断したのは、むしろ、強さがあったからで、ならば、いったいどっちが強くて弱いんだとの問いが、ブーメランのように舞い戻ってきます。
 
 
 
 
空襲が押し寄せる日々のなかでも、普通の営みの愛おしさを忘れない『この世界の片隅に』の北條家のひとびとは、家が焼かれても片腕をなくしても身内が命を失っても、この世界の片隅に生きざるを得なく、そういう決意と決断をしたからこそ、映画(原作)のラストで、皆さんあんな笑顔をみせてくれることができたと思います。
 
テイストはぜんぜん違うけれど、「この世界の片隅に」がずっと心を支配して愛おしくてたまらない人に、「夫のちんぽが入らない」を捧げたい気分です。
 

 

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

 
この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

 
この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

 

 

 

 

 

「お元気で」と去っていく人がいた巨大画材店〜ドキュメント72時間

「さようなら」「失礼します」「ほんじゃ」「また」「バイ」「ありがとうございました」
相手との関係にもよりますが、人との別れの挨拶といえばこんな感じかな。
 
知ってはいるけれど、めったに耳にすることも口にすることもない挨拶にこんなのがあります。
 
「お元気で」
 
この挨拶は、自分のボキャブラリーには入っていなく、こういう言葉で去っていく人にもなかなか出会えません。
 
 
好きな番組のひとつ、「ドキュメント72時間」(NHKEテレ)の<巨大画材店>の回で、インタビュー終わりに「お元気で」と去っていく女性が登場していました。
 
年齢は60代半ばでしょうか。彼女は自分の油絵を飾るための額縁を選んでいました。値段を尋ねると、十数万円とかもするらしく、ここまで高価な額縁を購入するのははじめてだそうです。
「人生短いと思ったから」「もう好きなように生きるって決めたから」と。
 
 
いままで好きなように生きてこなかったのですか?とディレクターが尋ねると、
 
 
 
洋服はすべて主人が選んできた。自分の好みを買ってきてくれる。口では嬉しいとかいって実は我慢して着ていた。それを、ごめんなさいと言って最近全部捨てた。私は自分の着たい洋服を着ていく。それを言うのも30年かかった。
 
 
 
その彼女がカメラの前を去るとき口にしたのが、「お元気で」
 
 
 
番組は、30年間の我慢、これからの決意、旦那さんとの関係などについてそれ以上一切踏み込まない(撮影では踏み込んでいるかもしれないけれど、放送では言及しない)
こういう人も、こういう人生もあります、と提示するだけ。
 
 
長い会話のなかのひとつひとつと違って、挨拶の言葉に偽りはない。ふと出る言葉に体裁や世間体や関係性の踏み入る隙間はない。
「お元気で」と自然に別れを口ずさめるあの人の人生を想像するのは深い。
 
 
さて、今年もテレビはNHKが9割を占めていました。
本日29日夜「朝まで!ドキュメント72時間2016」があります。
今年の私的トップ10は、
 
浅草花やしきジェットコースター」
「オーダーメイドハンコ屋」
北アルプス 天空のテント村」
「四国松山 海が見える無人駅」
「巨大画材店」
「長崎のお盆 花火屋」
秋葉原 秘密の工場」
昭和歌謡レコード店」
「東京タワーで見る初夢」
 
となっております。どうでしょうか。
 
では、皆様「お元気で」