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チャップリン「街の灯」はハッピーエンドなのかい?

1931年制作のサイレント映画、チャールズ・チャップリンの「街の灯」。
カン違い、すれ違い、ズレを活かした笑いの見事さはもちろん、ラストのあのシーンにはなんど泣かされたことか。

 

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「You can see now? 」「Yes,I can see now.」

この前にひと言、
「You?(あなたなの?)」という字幕が入ります。

短いけれど、強烈なひと言。

ああ、この映画、サイレントで良かった。

口から発せられるセリフであったなら、
演出家のあなたは、どんなニュアンスでセリフを発せよと役者に指導しますか。
役者のあなたは、どんなニュアンスで口にしますか。

それは、
喜び?安堵?感謝?落胆?幻滅?

どの感情を込めますか。



あの名ラストシーンについてちょっと考えてみました。

貧乏で盲目の花売り娘は、車のドアが閉まる音を聞き、たまたまそのタイミングで通りかかった浮浪者のチャップリンを紳士と思い込んでしまいます。

目が見えないゆえのカン違い。


この映画は、この壮大なるカン違いという構図のなかに、小さなカン違い、すれ違い、ズレを活かした笑い(人の葉巻きを自分の葉巻きと思い込む、スパゲッティと紙と間違え食べる、石鹸のはずなのにチーズだったなどなど)が込められていて、大前提の大きなカン違いを知っている観客は、小さなカン違いに笑いながらも物悲しさを感じたりもします。



花売り娘一家の払えない家賃や目の手術費のために賢明に働くチャップリン
ラスト近く、無事必要な金を娘に渡すが、ここでもカン違い(誤解)のため、チャップリンは刑務所に入れられてしまいます。


歳月が経ち、刑務所を出たチャップリン
一方、目が見えるようになり、さらには店を構えるまでに成功をおさめている娘。


ふたりは出会います。

当然娘はチャップリンが恩人だとは知りません。
みすぼらしい格好の浮浪者が自分をじっと見つめる姿に娘は、わたしに惚れちゃったのね、と花一輪とコインを恵もうとします。

逃げ去ろうとするチャップリンを追いかけ、コインを握らせようと手を握ります。


その手の温もり、感触から、娘は気づきます。


ここで例の字幕が入ります。

「You?(あなたなの?)」


見つめ合う二人。

「You can see now? 」「Yes,I can see now.」

見つめあったまま、映画は暗転し終わります。



見事なハッピーエンド。

うん?ハッピーなのか?

この再会は、もしかすると娘にとっては、残酷のはじまりなのでは、とも思えてきます。


再会のシーンの前で、娘が営む花屋に、車から降りた一人の紳士が入ってきます。娘はその紳士を、ひょっとしてと期待の眼差しで見つめます。

このシーンから今も娘は恩人を探し求めていることが分かります。
私を助けてくれた白馬の王子がいつかまた現れると。
疑いもなく娘はそれがお金持ちの紳士であると信じています。


ところが、実際は。



出会えたことは確かにうれしい。

でも、この先、わたしは、この人に対してなにをすればいいの?

娘のそんな戸惑いの声も聞こえてきます。




さて、あなたが演出家ならば…再会をはたしたラストシーンをどう演出しますか。
視線、口元、指先ひとつで…さまざまな解釈を観客に与えることができるシーンです。


例えば1、
手を握り気づいた娘に、こう演技指導したならどうでしょう。

まずチャップリンの目を見る。
2秒見つめた後、視線を服装にゆっくり移し観察し、再び目に戻す。
服装に視線を移す前と後では、眼差しに込めた感情を異ならせましょう。
服装を確認することで、娘は微かな落胆と幻滅を感じているであろうことを示すことができます。

こうしたしぐさを加える事で、映画が終わったその先の二人の運命が、けっしてハッピーでないことを匂わせるのです。


例えば2、
手を握る。あれ、この温もりの感覚はひょっとして、と気づく。

でも、コインを渡してすぐ手を離してしまう。

そして「You?」という字幕を入れない。入れてはいけない。気づいていないことにしてしまう。


カメラは娘の背後にまわったアングルに変わり、きびすを返す娘の表情をとらえます。娘なめのチャップリン
娘はそのままフレームアウトし、残るのは見送るチャップリンだけ。
その表情は、これでいい、これがいい、と泣き笑いで、そして一人去っていく。


例えば3、

娘は手を握り恩人と気づき、「You?」となる。

見つめ合うが、すぐにチャップリンは小さくかぶりを振る。

いいえ?なんのこと?誰かと間違えているのでは?と。

コインの恵みに礼を言い、背を向け自ら歩き去る。



どれも残酷。あの名ラストシーンが台無しかもしれない。

でも、自分なら…3かな?

3の場合、残された娘の芝居をどうするかに悩みます。
追いかけるか追いかけないか。
どんな表情で見送らせるか。
むずかしい選択です。




ちょっと設定を変えてこんなのはいかがでしょうか。

娘の今を、目に見えているだけ、にとどまらせます。

店を構えるほど成功させません。
今もまだ街角で花を売る娘です。境遇は同じとします。

格差はいつの時代もそびえ立つものです。

互いが同じような境遇である方が、映画として未来への希望を思い描くことができます。




一度観ただけの映画だったら、映しだされた映像を手がかりに素直に感動します。でも何度もくり返して観ると、異なった視点が生まれてきます。



ダスティン・ホフマンキャサリン・ロスの「卒業」も、その後が気になります。
強引に結婚式場から花嫁をさらってはみたものの、はてさてこの先どうしよう。
そんな戸惑い?後悔?軽率?の表情が次第に二人から見えてくるから不思議です。



映画にしろ小説にしろ、不確かなスキマをそれとなく潜ませた方が、何年も何十年も残っていける力ある作品になるのかもしれませんね。





さあ、明日はラストシーンの撮影です。

演出家のあなたは、どんなニュアンスでセリフを発せよと役者に指導しますか。

役者のあなたは、どんなニュアンスでセリフを口にしますか。



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