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着ぐるみ着ればなんだってできる?かも

嬉しいからバンザイと手を挙げるのかバンザイと手を挙げるから嬉しくなるのか。

人間というのはよくできたもので、体の動きはみごとに感情と直結している。ふてくされた表情で飛んだり跳ねたり喜びを表現しようとしても、どうしても動きは小さくなってぎこちなく、キレも鈍い。

でもあいつらは、寝不足でも失恋しても犬のうんちを踏んだ日も、変わらぬ表情でキホン笑ってる。

あいつら、

そう、

昨今世にはびこるゆるキャラを代表とする着ぐるみたちを見ると、「慇懃無礼」という熟語を思い出してしまう。表面上は丁寧を装っているけど、実は見下しているというアレです。


烏合の衆よワァーワァーキャーキャーうるせえな、と心のなか(着ぐるみのなかで)で思っていても、いつもどこでもどんなときでもHappy Actionでごくろうさんです。

とはいうものの、時には着ぐるみ(的なもの)も、人には必要。


西加奈子の小説「ふる」のなかに、こんな一節があった。

「絶対に目が合わないのが怖い。着ぐるみの威力を借りて、大人たちが全力ではしゃいているのが怖い」 

自分からは見渡せるが、相手からは(真実の自分が)見えないという優越は、怖いものなしなのかもしれない。

ネット上の匿名発言のように、根拠なき万能感さえもそこにはあるような気もする。

自己解放の秘密兵器。
それが着ぐるみ。


着ぐるみに包まれることで、日常の挫折や絶望からひととき逃れ、生き長らえている人もいたりして。


そう考えると、人生一度は着ぐるみで他者になってみるのもいいかもしれない。

自分も大学生の頃、イベントのバイトで3日間ほど、宇宙人の着ぐるみを着たことがある。

アララ、あら不思議。宇宙人の洗脳なのか着ぐるみ一族の憑依なのか、素顔ではできないだろうなぁてことも平気だった。


寄ってくる子どもたちに向かってオチャラケポーズを取ってみたり、
胸を叩いて「わ~れ~わ~れ~は~」なんて言う宇宙語(?)を口にしてみたり、
カワイイ女の子に襲いかかるポーズをとってみたりと。

これはオレの意志じゃないんだ洗脳だ憑依だと心神耗弱状態に陥り、責任能力をゴミ箱に放り投げてしまう恐ろしさもそこには微かにあった。


ああ、だから多くのヒーローたちはマスクを被っているのか。 

彼らだって時折ふと、なんでオレ、自分とは直接関係ない人類のために必死になって戦わなくちゃいけないんだ、と冷静真顔になってしまうことだってあるでしょう。
「ヒーローはサービス業。そんな顔見せちゃダメ笑顔笑顔」

そんな時マスクは、必需品。
素顔のままのヒーローは、よほど自分の仕事に自信があるんだな。


で、こんな着ぐるみはどうだろう。
動物園とかで時々行われる捕獲訓練。

例えば、ゴリラが檻から逃げ出したという想定でどう捕獲するか、というアレです。  

ゴリラの着ぐるみを着た(おそらく)職員が、同じ職員からサスマタや棒で追い立てられたりしています。  

あれはイタいな。殴られたらイタいし、殴られなくてもお互い知ってる同士で「ウッホウッホ」「待て近寄るな襲ってくるぞ!」なんて言い合うのは殴られるよりもイタい。


ゴリラ役はどうやって決めるんだろう。定例ゴリラ会議なんてのがあって、今年は誰がゴリラに相応しいのかなんて議事録取りながら話し合うのかな。

それともじゃんけん?無条件に新人の役目?

新人歓迎会や忘年会で、いきなり踊りだしたりはじけたりで「あいつあんなキャラだったのか」と新たな発見があるように、ゴリラ訓練は「意外とゴリラになり切ってんじゃん」と、新たな適正発掘の恒例行事として必要経費に計上できる。


そういえば前、ド◯ラ(なんちゃらドラ◯ンズのなんちゃら)と仕事をしたことがある。

撮影場所でスタッフは準備を整え、ド◯ラが来るのを待っていた。

集合時間が近づきどこから現れるんだろうと周りを見渡すと、少し先のコインパーキングに止まったワゴン車からド◯ラが降り立って現れた。 


もうすでにド◯ラで(というかド◯ラは着ぐるみなんかじゃなく、ド◯ラいう生き物ですからすでにド◯ラは当たり前)そのまま横断歩道を手を上げて渡ってきた。


挨拶をかわし、撮影内容や段取りの説明をするのですが、これがまた不思議な図式。

コンテを示し、これこれこうでこうして欲しいと目を見て伝えるのですが、え、目?そこでいいいの?今自分が見ているのは目、でいいの?(あ、ド◯ラはという生き物だから、今見ている目が目でまちがいない!)失礼しました。

で、理解してもらえたかどうか、「よろしいですか?」と尋ねるのですが、ド◯ラは大きく頭を数回振るだけでなにもコトバを発してくれませんでした。


というわけで、着ぐるみはおもしろい。いろいろなドラマが思い浮かぶ。

今、自分が着ぐるみを着ているとして、

集まってくる子どもたちのなかに、離婚して離れ離れに暮らしている子どもを発見したとしたら…

小学生の頃、オレをいじめていた奴を見つけたとしたら…

借金つくって家族を捨て行方不明になったオヤジを見つけたとしたら…

そしてそして、観察するかのごとく冷静なまなざしを自分に向けるもう1人の自分がそこにいたとしたら…

はたまた究極は、自分は着ぐるみなんかじゃなく、自分以外のすべてが着ぐるみ、だっとしてもちっともおかしくはない。

 

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