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「中国行きのスロウ・ボート」から学ぶ中国人とのつきあい方

お隣にある大きな国となんだかんだと問題が生じた時いつも思い出す短編小説があります。

今から30年以上前の、1980年に発表された村上春樹中国行きのスロウ・ボート」。主人公が知り合った3人の中国人の記憶についての物語です。

主人公が小学生の時、最初に出会った中国人、それは模擬テストの監督官でした。
中国人小学校の教室に、試験を受けるため集まった主人公ら日本人小学生に、監督官である中国人教師は語りかけます。
 

「中国と日本はお隣り同士、みんなが気持ち良く生きていくためにはお隣り同士が仲良くしなくてはいけない。(中略)そのためにはお互いを尊敬しあわねばなりません。」
 

尊敬しあう例えとして,中国人教師はこう続けます。

「もしも君たちの学校に中国人小学生がテストを受けに来て、同じように机に座ったと想像してみて下さい。月曜の朝、みなさんが学校にやってきます。するとどうでしょう。机は落書きや傷だらけ、椅子にはチューインガムがくっついている、机の中の上履きは片方なくなっている。そんな時どんな気がしますか?中国人を尊敬できますか?」と。


この一人目の中国人に関してのエピソード、オリジナルの1980年版と2005年に短編選集として出版された「象の消滅」内とでは、その締めくくりが異なります。

オリジナルでは、主人公は落書きをしてしまいます。後日談としてそれは描かれ、翌朝自分の机に落書きを見つけた見知らぬ中国人小学生へ想いを馳せています。

 

中国行きのスロウ・ボート

中国行きのスロウ・ボート

 

 

一方2005年版ではこうした締めくくりはなく、中国人教師の「顔を上げて胸をはりなさい。そして誇りを持ちなさい」という言葉を、主人公が思い出して章を閉じています

「象の消滅」 短篇選集 1980-1991

「象の消滅」 短篇選集 1980-1991

 

 


2012年秋、日本政府の尖閣諸島国有化をきっかけに、中国各地で反日デモが沸き起こりました。その数カ月前の5月、私は仕事で中国は広州に行きました。
自分にとってははじめての中国で、それ以前も中国(中国人)といえば近所の工場で働く人やコンビニの店員という集合体で、知り合いさえもいませんでした。

仕事(撮影)で訪れた中国では何人かの中国人と知り合いました。一日中行動をともにし、意思を伝え合い、冗談を言い合い、写真を撮り合い、facebook友だちとなった中国人もいます。中国人という集合体でしかなかったものが、顔や名前を思い浮かべる個人、そう、「☓☓サン コレ、撮リマスカ」と笑顔で問いかけてきた○○さんや△△さんという名前を持つ個人へと変わったのです。



となると不思議なもので、反日デモに関するニュース映像を見ても、騒動への怒り以前に、○○さん△△さんは今何しているんだろう、この状況にどう感じているんだろうの方が気になってきます。
もちろん日の丸への冒涜や日本に関するものへの侮辱や破壊は許されるわけがなく、民度の低さにはあきれかえります。
でもそこで、相手と同じ沸点で感情を爆発させても泥沼です。個人としての中国人と知り合えて以来、こちらも個人として考えてみる余裕というか、冷静さが生まれたようです。

特に深く関係していなくても、一度でも訪れた街や土地の名前を偶然見聞きするとなぜかホッとするように、そこにつながりを見つけるとぐんと距離が近くなるってことないですか。
もっと直接的に、日系企業で日本人とともに共通の目標に向かっている人もいるし、国籍を超えて愛し合っている男女もいるだろうし、日本文化にこよなく親しんでいる人もいるだろうし、お互いに尊敬しあっている関係の人たちも多くいることでしょう。

国と国の問題はそんな小さなつながりだけで解決できるほど単純じゃないだろうけど、やられたらやり返すを踏みとどまらせるのは、小さな、そんなつながりのひとつひとつのような気がしています。

モノを投げたり壊したりする前に、月曜の朝、この机に座る誰かを思い浮かべる。そんな余裕と冷静さを持つことで「顔を上げ胸をはり、そして誇りが持てる」


「中国行きのスロウボート」のなかで、主人公はもうひとつ別の記憶についても触れています。
野球の試合をしていてバスケットボールのゴールポストに激突して脳震盪を起こしてしまった時の記憶です。倒れた状態で主人公は無意識にある言葉をつぶやきます。

大丈夫、埃さえ払えば、まだ食べられる

食べものを落としても3秒以内なら大丈夫という「3秒ルール」のようなこの一文には、強調するための傍点が打たれています。はじめ読んだ時、この脳震盪のエピソードの意味がわかりませんでした。なぜこんなエピソードを挿入するんだろう。どんな意味を込めたメタファーなんだろう。
でもいま改めて読み返してみて、なんとなく、なんとなくですが、ずしりときています。

大丈夫、埃さえ払えば、まだ食べられる

~さえ~すればまだ~できる



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