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何待ち?と言われる前にすべきこと

ナレーションを収録する時、ナレーターさんは、ブースという雑音が遮断された空間に入ります。そこに入ってしまうと、トークバックという機器を通じてでしか、コントロールルームにいるディレクターやミキサーと会話によるやり取りができません(聞こえません)


順調に段取り良く間隙なくナレーション収録が進んでいけばいいのですが、時折「今の言い回しどうかな」「もう少し喋り出しのタイミングをずらそうか」「アクセント正しいのか」とかなんだかんだと議論が始まり、ナレーション収録作業がしばし中断してしまうことがあります。


こういったなんだかんだはコントロールルーム内だけで行われ、ブースには聞こえませんので、ナレーターさんは静寂のなかで次の指示を待つこととなります。


この時のナレータさんの気持ち(訊ねたことないけど)心細いんじゃないのかな、と。


もちろん5分10分とあまりに長い中断になりそうだと、トークバックを使って「今、タイミング上げ下げ作業中です」「言い回し確認中です」「ちょっとナレ原修正入れてます」と「何待ち」状態なのかをお伝えしてできる限り情報の空白を埋めるようにはしています。

それでも沈黙は、そこに情報がないにも関わらず、いえ、ないからこそいろいろと想像が広がってしまい残酷です。

 

ナレータさんの場合、ブースのガラス越しに見えるスタッフの表情が険しかったら、ひょっとして私の声はイメージとちがう?作品の意図を理解していない読み方をしている?とこの場にいる存在理由を根底から否定することまでも考えてしまったりして。 


情報不足は怖い。
震災や台風や竜巻も、その災害の真っ只中にいると、真っ只中にいるにも関わらず情報は一番欲している人に届かないようですね。


被害に遭った方々が一様に訴えていました。

「いったい何が起こっているかわからなかった」と。


情報て距離じゃないんだ。近いからといって正確で詳細なわけじゃないんだ。
何が起こっているかわからない不安。

何を待っているかわからない孤独。

どれだけ待てばいいのかわからない焦り。

 


2005年の愛知万博を思い出します。ちょうど10年経ちました。


どの館も2時間3時間待ち。行列嫌いでも待たなきゃ入れません。仕方なく並びました。並んだ割には…?てのが多かったのですが、ひとつ並ぶのが苦にならなかった館がありました。(内容が、ではなく)


赤十字赤新月館です。


これも人気で連日2時間3時間待ち。
でも、並んでいると、スタッフの方がしきりに声をかけてくれるのです。

 

日向を避け日陰に並ばせるため「詰めてください」
 
列の途中途中には「あと◯分くらいですから」と並びに合わせた情報を知らせ、1人で並んでいる人には「どうぞトイレに行ってください。代わりに並んでいますから」と、黙々の行列を埋めてくれます。
 

先が見えない中ただ並んでいるだけよりも、こうした声かけがあると、(大げさですが)見捨てられていない安心感が生まれてきました。

 



映像の作品も企画から完成まで数ヶ月かかります。

私たちはルーティン・ワークなので、現時点での作業の進み具合は明確です。

でも、クライアントは、ましてや突然担当になり、初めて映像制作に携わるならば、いったい今どこまで進んでどういう状況であとなにが残っているかわからないってことがあると思います。

 

そんな時、現在こういう状況であとなになにとなになにをすれば形が見えてきます、と随時伝えてあげることも大切でしょう。


大体において担当クライアントは社に戻ると、上司から「おい、いま映像はどういう状況なんだ」と問われていることでしょうから、そんな時にスムーズに返答できるよう常に情報はオープンにしてあげることも次につなげていく大切な業務のひとつともいえます。
作品の出来はもちろんのこと、プロセスにおいていかに寄り添えるか、て案外重要なことかもしれません。

 

待つことの悦び

待つことの悦び

 

 



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