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イラクのクウェート侵攻と多国籍軍イラク空爆の間の中東旅行

「ピラミッドを見てみたい」

子どもの頃からのそんな夢をようやく叶えたのは、1990年でした。

イラククウェートへ侵攻し(1990年8月)、多国籍軍イラク空爆を開始する(1991年1月)、その中間の1990年11月でした。

 

エジプトとイラクはおよそ1000キロ強離れているためか、エジプトでの日々は(下痢はしてしまいましたが)穏やかで、目にするピラミッド、スフィンクス、アブシンベル神殿、王家の谷などの歴史に裏付けされた重みはさすがに強烈だった記憶があります。

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エジプトからの帰国後もしばらくは中東熱に浮かされ、イスラム教についての書物を読み漁ったりもしていました。

 

そしてやはり、中東の、あの独特の空気と匂いと気だるさと街中から聴こえてくる民族音楽が忘れられず、2年後の92年、今度はトルコを訪れました。

 

19世紀和歌山県沖で沈没したエルトゥールル号救援、1985年イ・イ戦争時のトルコ航空機による在留邦人救出など、歴史的に見てトルコと日本の関係は悪くなく、そのためか街で出会うトルコ人たちはとても陽気で親しげ、笑顔がステキでした。

 

話のタネにとひょいと飛び込んだ田舎の床屋では、日本人が髪切りに来たと、近所のおっさんたちが写真を撮りに集まってくるほどでした。

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エジプトでもトルコでも、どちらもモスクを訪ねました。敬虔なムスリムの方々の祈りの姿は(誤解を恐れずいえば)美しく、無神の自分には心底共感することはできなかったけれど、理解は必要だと感じたりもしました。

 

 

ン十年ぶりにあの時のアルバムを引っ張りだしました。

遺跡に続いて多かったのが、子どもたちの写真です。ちょっと色褪せた紙焼きのなかでみんな笑っています。

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でも、あの時は気づかなかったけれど、今あらためて眺めて気づいたことがあります。

 

子どもたちの、その多くが働いていたんだ。

「ラクダに乗らない」と客引きする子ども、「パンはいかが」と売り子の子ども、おそらくまだ10代半ばなのに床屋でハサミを持つ子ども。

みんな仕事をしている。

 

 

最近は仕事でしか海外に行っていない。仕事の場合、出会う人は限られている。だから直接「異」や「差」と出会うことはあまりない。

 

仕事じゃなくプライベートでも行かなくちゃと思うけれど、

時間もないしお金もないし長時間飛行機に乗るのが億劫になってきたし、そう簡単に「異」に飛び込んでいくことができない。

 

だから若いうちだよホント、とおじさんは言うのだ。

自分はそんなにいっぱい海外に行った経験があるわけじゃないけれど、多少なりとも見ておくと、世界の出来事の見方が、ほんの少し、自分事に置きかえて考えることができるんじゃないだろうか、な、と思ったりもするわけです。



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