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そういえば韓国のMERSって?で思い出した19年前の細菌性赤痢

安保法制だの新国立競技場だのギリシャだのに上書きされて最近聞かないのが、韓国のMERSマーズ。
あれいったいどうなっちゃってるんですか。
 
8月に息子がアメリカ行くんだけど、5月の段階で取っていた韓国経由のチケットを慌てて直行便に変えましたけど、今どうなっちゃってるんですか。
 
MERSにSARSにエボラとか、いろいろあるけれどもうすっかり忘れていました。
私は19年前の1995年5月、インドネシアから誰にも喜ばれない土産を持ち帰っていたことを。その土産はスーツケースでも機内持ち込み荷物でもなく、私のお腹のなかに潜んでいました。
 
細菌性赤痢ってやつです。


ジャカルタでの撮影も終わりあとは名古屋への帰国便に乗るだけという安堵の状況のなか、なぜかお腹は食べても飲んでも上から下への直通便というエマージェンシー。こりゃヤバイ。
なまじ入れるから出てくる、ならば出すものなくせ、というわけで飲まず食わずのフライト7時間の後、当時の名古屋空港で(さすがに正直に)申告しました。
 
「ちょっと下痢してます」と。

入国審査場脇のトイレで検便したあと、「結果が出るまで1~2日かかります。それまでは外出は控え、接触は最小限に」と念を押されましたが、単なる腹イタさと会社に戻り(当時はまだ会社員)、機材やら収録テープやらを整理し、ジャカルタ無駄話で社員と接触しまくったあと、ちょっと気分悪いんでと早引きしたのです。
 

有無を言わせずとはこういうことを言うのでしょう。翌日保健所からの隔離命令が下りました(下痢だけに?)。
「◯◯さんの便(これは「びん」ではなく「べん」と読む)から細菌性赤痢が検出されました。今からお迎えに行きますので、2週間分の着替えを用意してお待ちください」
突然の通達に「うむ?」と答える間もなく電話は切られ、解いた旅装を再び結び直したのです。今度は隔離病棟14泊用に。


おいおい救急車でくるんかい。サイレン鳴らしてくるんかい。いえいえ近隣への配慮なのでしょう、ごくごく普通のワゴン車がやってまいりました。
特にねぎらいの挨拶もなく、保健所の車に拉致され、名古屋は千種にある東部医療センターに連れて行かれ、裏口エレベータから誰にも会わせず隔離病棟まで直行です。
入院から1週間は病室から出られず、2週間目にしてはじめてフロア内だけを歩くことができるという、社会との接触が一切禁じられた2週間の強制隔離がはじまりました。

あとから聞いたのですが、その間外界は大変だったらしいです。我が家はちょうど2ヶ月前に子供が生まれたばかりで、トイレはもちろん、部屋の中や食器類は完全消毒。
会社は会社でインドネシアに持っていった機材やトイレや事務所の消毒、接触者の検便やら、上を下への大騒ぎ(だったらしい)でもう大変だった(らしい)。


「無人の森で木が倒れたとき、音はするか」という哲学的な問いかけがあります。たとえ音波が生じても聞く人がいなければ音はしない、といいます。

そう、だから、外界の大変さは、情報が遮断された私には存在しないと一緒で、なにが起こっているかつゆ知らず、後になってどーもすみません、と謝るしかありませんでした。

なんせ2日目から下痢はおさまり、菌も検出されなくなり、どこも痛くも痒くもないため、のんびりと本を読んだりテレビを見たりの完全休息状態だったのです。
ま、でもそんなのんびりを公言したら怒られますから、毎日毎日検査検査注射注射投薬投薬の地獄攻めでしたと、多少盛っていたことを今あらためて白状します。


でも仕事はしていました。企画や台本書きなどベッドの上でもできる仕事に取り組んでいました。愛用のワープロ東芝Rupo)は持ち込んでいなかったため、すべて手書きです。
しかも1995年当時インターネットは盛んではなかったため、書いたはいいが届ける術がない。取りに来てもらうしかない。

赤痢とはいえ面会は可能です。ただその面会方法が通常とちょっと異なります。
面会者は白衣とマスクを着用させられ、病室から持ち帰るもの~この場合原稿~は、20分ほど滅菌消毒を施さなくてはならないのです。原稿一枚一枚、うなぎの蒲焼きのように裏表均一にひっくり返しながら20分間むらなく十分に滅菌させることで安心安全な原稿が出来上がります。


原稿引取りの役目を仰せつかった人は嫌だったでしょうね。なんせ赤痢患者のもとへ出向くわけですから。

せめて「今日さ、赤痢にかかった会社の人の面会行ったんだけどさ、白衣着させられ、原稿は一枚一枚滅菌だぜ、たまらんぜ」「おいおい伝染すなよ」と酒の肴にして笑い飛ばしていただけたなら幸いです。
 

さて、無事最低入院期間である2週間内で新たに菌が検出されなかったので、2週間目に退院となりました。病棟を出る締めは、ナースセンターでも会計受付でもなく、風呂でした。

隔離病棟の一番端っこに一般家庭用程度の風呂があります。
入り口は病棟側、出口はエレベータホールという、もう後戻りできない仕組みとなっています。ノーリターンなのです。
体を洗い洗髪し着替えて出た先は、2週間前となにも変わらない日常。エレベータホール片隅の窓から差し込む5月の陽光は眩しく、子供たちのはしゃぐ声も隣の千種公園から漏れ聞こえてきます。ああ、社会復帰です。(経験ないけど)任期を務め上げシャバに出た気分で、まずはラーメンか牛丼といきたいものです。


この貴重な2週間で学んだことがいくつかあります。

海外から帰って下痢してたら隠さず迷わず申告すること。
7時間なにも口にしなくても死なないこと。
赤痢程度では新聞に載らないこと。
隔離病棟には中庭があって日光浴ができること。
昼間のテレビはワイドショーだらけだということ。
隔離病室はアパホテルよりも立派で広いバストイレ付きだということ。
ほんの2週間、一人がいなくなっても社会は変わらず前に進んでいるということ。


そしてそして
赤痢は法定伝染病で、入院費は無料、しかも入院特約が適用され、保険金が支払われるということ。