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やさしさに満ちた「あさが来た」と不親切な「桐島、部活やめるってよ」のスキマを埋める

前作「まれ」はまれに見るぐだぐだぶりに呆れ返り途中放棄してしまったけれど、今の「あさが来た」は、出てくるすべての人に愛情が惜しみなく降り注がれているから毎日が愛おしくてたまらない。
連続テレビ小説 あさが来た Part1 (NHKドラマ・ガイド)

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当然ドラマでは、主人公・あさの人生が中心に描かれていくのですが、他の登場人物たちも同じ時間を同時に生きています。描かれないけれどそれぞれが変化や成長をしています。
そうした詳しくは描かれない周辺の人生にも「あさが来た」は、とても優しい。
 
 
おや、二人は意識しあってるな。ちょろっと出てきたこの人意味ありげ。今はこ憎たらしいあの人もこの先多分変心するぞ。とか。
 
脇役たちの人生を想像させるちょっとしたシーンでのセリフや一瞬の表情(特に視線)が散りばめられていて、脚本家や演出家の愛情を感じます。
 
そうしたさりげない表情や視線の動きやそれらをとらえたフレームが、「なにかあるぞ」感を漂わせているのです。今後どう紐解かれていくかが楽しみです。
見事な脚本と脚本を最大限に活かした演出に「嫉妬」と「羨望」と「感心」です。
 
 
 
と、そのタイミングで再見した「桐島、部活やめるってよ」(監督:吉田大八)も「なにかあるぞ」がいっぱいでした。

 

桐島、部活やめるってよ (本編BD+特典DVD 2枚組) [Blu-ray]

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ただ高校生たちの物語だからこちらの「なにかあるぞ」は、将来に向かってのものではなく、高校という空間と今という時間のなかの「なにかあるぞ」です。
つまりは、表では仲間たちと屈託なく笑いあってるが実は裏では…の「なにかあるぞ」です。
 
そりゃ、たまたま同じ高校に入ってたまたま同じクラスや部活になって、その狭いヒエラルキーのなかでなんとか生きていかなくちゃいけないわけだから、表には出せない「なにか」をみんな密かに抱えていることでしょ。
 
映画部が作る映画の台詞、
 
「戦おう、この世界で。俺たちはこの世界で生きていかなければならないのだから」
なんですから大変です高校生も。
 
そんな複雑な事情が、一見仲が良さげな仲間の描写のなかに「なにかあるぞ」的に仕込まれているからたまりません。
 
 
「あさが来た」の「なにかあるぞ」はおそらく今後順番に回収されていくのでしょうが、「桐島〜」の「なにかあるぞ」はその多くがすっきりと回収されないまま終わります。
 
ラストの東出昌大の涙の訳は?
最後の桐島への電話は何を話すつもりだったの?
なんて説明なきままエンドクレジットになってしまいます。
 
だから見終わった後も気になって気になって、なぜ?なぜ?と考えるしかありません。
 
 
 
考えさせたり、心に響かせたり、行動を促したりと、コンテンツに接したあと能動的な気分にさせるモノには、こうした「なにかあるぞ」的なものが巧みに仕込まれています。
 
 
でも広告映像(特にパッケージもの)における「なにかあるぞ」的な隙間は、時に「よく分からん」「説明不足」「不親切」との意見を生み、その結果、隙間を埋めるためあれもこれもの情報が追加されていったりします。
 
こうして出来上がるモノは過不足なく誰にでも分かるものとなり、良くいえば単体で完結したもの、悪くいえばその先の行動を生み出さないものとなりがちです。
 
 
目的や求める結果がそれぞれですからどっちがいいとは一概には言えませんが、印象に残させたり行動を促したりするならば、「なにかあるぞ」的な、ある程度ちょっと不親切な隙間があったほうが、興味を持った人はその後、自分で隙間を勝手に埋めてくれることでしょう。
と、WEB動画が主となっている昨今、そう思ったりしています。
 



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