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自分がいつ死ぬか知っていながら知らないふりをするということ

テレビから考えてみる
毎朝の楽しみ「あさが来た」
後半に入ってからは決算セールのように馴染み深い登場人物が次々と亡くなっていきます。終了まであと1週間の今、気になるのが、みなさんもご同感と存じますが、新次郎さんですね。
 

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意味深な演出が連発し、もしや、まさか、いやいやそんな、の連続です。
 
ドラマや映画の場合、もちろん台本というのがあって、役者さんは自分の運命〜最終回まで生き残るかそれとも去っていくか〜を知った上で演技をしているわけです。これは監督を始めスタッフも同じです。
 
台本上に「徐々に死に向かう」的なシークエンスが書き込まれているならば別ですが、そうでない場合「この人はこの先死ぬ」的演出を加えるか、「自分はこの先死ぬ」的演技をするか、は非常に悩ましい問題です。
 
ドラマや映画で、思い入れのある人物が死んでしまったとします。
その場合、それ以前のシーンに匂わせる演出や演技があったかどうかを意識してもう一度観てみると意外な発見があったりして。監督の意図、役者の演技プランが発見できたりして。
 
 
かつて和田勉さんがこう言っていました。

「知っていながら知らない素振りが、役者はどのくらいできるか。演出は、自分の人生の最後を知っている役者に、その最後を忘れさせてしまって、”いま”を生き生きとさせるということです」

 

 

テレビ自叙伝―さらばわが愛

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