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人生と成長における車線的なもの

クルマ関係の仕事に必要で、1950年代から60年代にかけての日本の古い資料映像をまとめて見たことがあります。
面影のあるあの街や面影のないこの街を、今ではもう見ることのないクルマがとろとろ走っていました。
で、ふと気づきました。
 
 
あれ、車線がない道路があるぞ。
 
 
昔って道路に車線はなかったのか。いや、あるけど薄く描かれているから見えないだけなのか。
どちらにせよ、パブリカだのコロナだのが車線のないのに(見えないのに)すいすい走っていてなんか変な感じ。
 
 
いま車線は当たり前にあるけれど、よくよく考えてみると車線てすごい発明だったりして。
 
同じ方向に進むモノ同士が、ここがあなたの領域ですよはみ出さないでね、はみ出す時はちゃんと合図してね、と暗黙に了解しあって争いを避ける、そんな安心の道標のような気がしてきました。
 
だからなのか、勝負の場には車線がありません。
F1とかのレースやマラソンにはラインがないし、あ、でも、陸上の場合は短距離にはしっかりとラインが示されてるな。
 
 
 
数年前に訪れた中国とベトナム
都会の幹線道路にはしっかりと車線はあったけれど、郊外の道にも車線はなかった。あっても薄くってよく見えない。

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そんな車線のない道を走るどのクルマもどのバイクも「オレの行く手を阻むな」「決められた道なんか知るか!」状態でスルスルスルスルと我が物顔で走っていました。
 
あれはなんでしょう。
車線がないから自由に道を選んでいるのか、決められたレールなんてくそくらえ!自由に走るんだ的民族性だから車線を引いても無駄なのか、それともまだ我々は競争の真っ只中だ真っ直ぐなんて走ってられるか!なのか。

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今やどこの田舎にいってもしっかりと車線やセンターラインが引かれている日本は安心安全の国だけど、資料映像で見たかつての日本は、誰も決められた線と線の間を走ってなんかいなかった。
そしてそんな時代のずっとずっと先に今がある。
 
車線ひとつでいろいろと見えてくるから面白い。